生きる意味とは

うつ病になってからもう何年たつかは忘れてしまったけれど、今日のようなとても沈みがちな日には、心境を記しておかねばならない。

何もしたくない。外に出るのも億劫で、考えることも面倒。何か買いに行くくらいはしたいなと思っても、お金を使ってしまうなあという意識が邪魔する。散歩ならお金もかからないのに、おまけでポケモンGOくらいすればいいのに、と思うそのおまけがまさに面倒事。じゃあただ歩くだけでいいのに、それだとまったく意味のないことのように感じるんだ。

気圧の変化なのか、午後になって少し気分が晴れやかになって、こうして記事を書いているけれど、午前中は画面を見るのも嫌だった。とにかく横になってるだけしかできなかった。音楽やテレビも音が入ってくることが嫌でダメだったし、そもそも選曲したりリモコンを手に取ることすらも億劫なのだ。

今月の給与は家賃とクレジット払いで消えてしまう。つまりは、親にお願いをしなければ生きていけない月。それもあって、お金を使うことに非常にプレッシャーがかかる。もしかしたら、これが一番の原因なんじゃないかとも思う。日ごろおいしいものを食べることに幸せを感じるけれど、それすら許されないような、コンビニ弁当だって高いし、じゃああまりもののナッツでいいや、とか。食生活も極端に簡素なものになる。動けていないので、太りたくないからあまり食べたくない。
書き出してみると悪循環なのだが、使えるお金がいまほど緩くなかった去年のころは、もっとひどかったので、やはりお金というものはある程度病気に影響を及ぼしているだろう。
最低限しか、何もしてはいけないような感覚。お金を無駄に使わないために、動かない。そんな思いもあるのだなと、書き連ねて気づくんだ。

休日のたびにこうだと、死にたいとまでは思わないけど、何のために生きているのかわからなくなる。