ちょっぴりまじめな過去のこと

さて、いままでごくごく親しい友達にしか話さなかったことを書き記してみたいと思う。

自分は、小学2年生~中学卒業まで、ずっと不登校だった。

登校日数ほぼゼロ。特殊学級もほとんど行かず、完全な不登校。非行やいじめが原因ではない。なんとなく、行くのが馬鹿らしく思えただけのこと。

二年目の夏休みが終わって、あー、なんか学校行きたくないなー、夏休み短いなーと思って、初日うっかり仮病で休んだだけ。初日行かなかったことで、ユウくん昨日どうしたの?って聞かれたらなんて答えようかな… 面倒だなー。二日休めば、二日も休んでどうしたの?って聞かれるよなあ。それの繰り返し。だんだん理由を聞かれることが怖くなって、行けなくなった。きっかけはそんなこと。

勉強はよくできた。運動神経もそれほど悪くない。友達もいた。思い返してみれば、人生で一番モテた時期でもある。あのころの女運、いま訪れてくれないかな。

もちろん、母親はとても怒った。行きたくないとぐずる自分を怒ってみたり、なだめてみたり。まさか元気に育っていた一家の長男がこんなことになるとは、さぞ戸惑ったことと思う。

「行きなさい!」
「どうして行けないの!」
「もう、知らないからね!」
「お母さん育て方間違えたのかな…」

泣き続けてうるさくしたので玄関のドアの外に締め出されたりもした。結局母親はどうしてよいかわからず、やがて県営か何かの教育相談事務室に駆け込むことになった。それは秋口のことだったように覚えている。

学校に行けなくなって、何も困ることがなかった自分は、どうして学校に行かなきゃいけないの? というひとつの疑問を持った。両親はそれに答えることができなかった。学校は勉強するところでしょう、家で勉強できていれば行く必要ないよね、などと主張した。

教育テレビは小学生および中学生を対象にした番組をたくさん放映しており、眺めているだけで勉強ができた。折りよく進研ゼミもはじめていたので、一気にまとめてやるのも達成感があった。日々こつこつ少しずつ、というのは性に合わず、逆に難しかった。
毎日友達が、給食のパンとプリント、テスト用紙を持ってきてくれたが、自分は一切顔を出さなかった。具合が悪いといって休んでいる体なのに、元気でいる姿を見られたら、言い訳できないからだ。休むということが後ろめたいという気持ちは、少なからずあったように思う。

教育テレビが好きだったこともあるが、教育テレビを観ることが勉強だとは微塵も思っていなかった。赤ペン先生も金色のシールばかりで、まれに銀色のシールで返ってきたときは、逆にちょっと新鮮に感じたりもした。結局はシールで集めた景品のカメラや腕時計がほしかっただけなのだが、それがよい方向に働いた。

赤ペン先生のシールを集めて手に入れた防水腕時計は、デザインや蛍光剤がとてもかっこよかったし、出かけるときには必ず身に着けた。手動巻きのフィルムカメラは、物を撮ることがとにかく楽しくて、いろいろなものを撮影して、すぐにフィルムを空にした。カメラを通して、ピントや感度、感光というものを知った。理科で育てた朝顔がきれいに咲いたことで、植物を育てることにも夢中になった。プランターに野菜の苗を植えて、収穫してそれを食べた。

書いてみて、不登校だったとは思えない行動力だ。一般的に不登校というと暗くネガティブで引きこもっているようなイメージがあるように感じるが、自分はまったくそういう性質のものではなかった。むしろ、家で今日は何をしよう、明日は何をしよう。それを考えて生きるのがとても楽しい。

不登校のひとつのケースではあるが、本人は不登校の自分がみじめだとか、かわいそうだというようなことは一切思っていなかった。